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※ 本文為 shimuraken 轉寄自 ptt.cc 更新時間: 2013-06-12 18:23:04
看板 Baseball
作者 dd103 (護衛艦‧綾波)
標題 [翻譯]「流浪的棒球藝術家」小林亮寬
時間 Wed Jun 12 15:32:15 2013


其實這篇文章的標題並不是這樣
只不過文中以這樣的詞彙來形容小林
想想就把它拿來當作標題了

這篇文章是出自sportnavi (日本雅虎的運動專頁)
文中也提到一些美國獨聯與韓職的現況
剛好早上趁著看王建民的空檔隨手翻譯一下
如有謬誤請不吝指正,欲轉載也請務必告知
謝謝

==

原文網址:http://0rz.tw/q0yMU
元ロッテ・小林亮寛が野球を続ける訳|コラム|野球|スポーツナビ
[圖]
元ロッテ・小林亮寛が野球を続ける訳 -  戦力外通告。その言葉と隣り合わせになっているのが「現役引退」や「将来への不安」だ。 そ... ...
 

元ロッテ・小林亮寛が野球を続ける訳
「戦力外=引退」を否定してきた男の夢

讓前羅德選手小林亮寬繼續打棒球的理由
將「戰力外=退休」這種想法否定的男人

文/室井昌也

経歴は“プロ野球選手です”

工作經歷是「職棒選手」

 戦力外通告。その言葉と隣り合わせになっているのが「現役引退」や「将来への不安
」だ。

 經常跟「戰力外通告」(註)這個詞彙被拿出來一起討論的,就是「退休」跟「對將來
感到不安」了。

 その一方で、戦力外になったことを前向きにとらえ、8年にわたり、世界各地で投げ
続けている日本人投手がいる。2002年に千葉ロッテから戦力外通告を受けた後、米
独立リーグ、四国・九州アイランドリーグ、台湾、メキシコの各リーグでプレーし、現
在は韓国の独立球団・高陽(コヤン)ワンダーズに所属する小林亮寛(34)がその人
だ。


 不過,有一位日本投手在接到這樣的通知後,反而在其後的八年之間,於世界各地延續
自己的職棒生涯。他就是在2002年被羅德宣告解約之後,目前隸屬韓國獨立球團高陽驚奇
隊(Goyang Wonders),現年34歲的小林亮寬。


「僕の経歴を書こうとすると、相当、文字数が必要ですよね。僕自身も簡単には説明で
きません。だから普段は“プロ野球選手です”とだけ言ってます」
 おだやかな口調で理路整然と話す小林。その様子には経歴が表すような、ガツガツし
た感じやハングリーさはない。身長185センチ、切れ長の目に熱いまなざし。凛とし
た姿には剣士のような風情が漂う。


 「如果要說明自己的經歷,應該會變成長篇大論吧。連我自己都沒辦法用簡單的方式說
明,所以我平常祇會說『自己是一位職棒選手』而已。」
 小林的語氣非常平靜,說出來的話也都很有條理。從他的外表,看不出經歷上表現出來
的決心與強烈渴望。身高185的他有著秀氣卻炯炯有神的雙瞳,看起來就像是一位威風凜
凜的劍客。


 小林は1998年にPL学園高からドラフト6位でロッテに入団。プロ野球選手にな
った。しかし、ロッテに在籍した5年間で、1軍での出場はゼロ。彼が野球ファンの記
憶に残ったことと言えば、「亮寛」という登録名くらいだった。


 小林是在1998年畢業於PL學園高中部,並以選秀第六順位進入羅德成為職棒選手。但是
他在羅德的五年生涯,完全沒有在一軍登板投球過。球迷對他的印象,大概就只有「亮寬
」這個獨特的登錄名稱而已。


「同期に即戦力の選手が多くて、高卒の自分には2軍でもなかなか投げる機会がありま
せんでした。けがをしているわけでもないのに、登板間隔が中45日とかでしたね。あ
まりに登板機会がないので、たまにマウンドに上がると、良いところを見せようと思っ
て力が入り、ボールが真ん中に集まって打たれる。そんな悪循環でした」


 「跟我同期且馬上就能在一軍成為戰力的選手很多,只是高中畢業的我就算在二軍也沒
什麼機會上場投球。就算沒有因傷所困,也曾有過兩次登板之間相隔45天的紀錄。正因如
此,當我好不容易能登板投球的時候,總是會因為太想表現而用力過猛,結果球幾乎都跑
到紅中的位置而被打個正著,結果就這樣一直惡性循環。」


一度は引退…復帰を後押ししたのは伴侶

曾經退休過一次…讓自己復出的是終身伴侶

 小林の2軍での登板数は98年11試合(投球回35回)、99年13試合(同37
回3分の1)、00年12試合(18回3分の1)と、わずかだった。若手選手への実
戦機会の不十分さは、その頃のロッテに限ったことではない。昨年を例にとると、全1
2球団の高卒4年目までの投手の中で、1軍より2軍での出場数が多かった、56投手
の2軍出場数は平均8.41試合。投球回は約28回しかない。チーム別に見ると、育
成選手を多く抱える球団ほど、その数は少なくなる。プロに入っても、与えられるチャ
ンスはかなり限られるということだ。小林はそれをつかむことができなかった。


 關於小林在二軍的登板紀錄,1998年出賽11場(投球局數是35局),1999年出賽13場(
37.1局),2000年則是12場(18.1局),出賽機會實在是少得可憐。其實這種年輕選手沒
機會上場的情形,並非只發生在當時的羅德隊。以去年為例,12支球隊裡高中畢業四年以
內的選手,出場數幾乎都是二軍多於一軍,且56位投手的平均出場數只有8.41場,投球局
數只有28局而已。如果再以各隊的情形來看,擁有許多育成球員的球隊,這個數字會變得
更低。即使好不容易擠進職棒的大門,能證明自己的機會也非常有限,而小林並沒有掌握
住這僅有的機會。


 小林は当時をこう振り返る。
「試合に出られないのでエネルギーをどこにぶつけていいのか分からず、腐ってしまい
そうな時期もありました」
 結局、小林は02年オフに戦力外通告を受けた。不完全燃焼のまま告げられたクビ。
しかし小林が落ち込むことはなかった。
「クビになった時は……うれしかったですね。ようやく新たなスタートが切れるという
踏ん切りがついて、ワクワクしました」

 小林回顧當時的情形時是這樣說的。
 「因為一直沒辦法出場,根本不知道該如何發洩自己的精力,也曾有好一段時間感到意
志消沉。」
 結果小林在2002年接到解約通知,就這樣在還沒好好表現的情形之下被開除。但是,小
林並沒有因此氣餒。
 「當我被開除的時候……老實說還滿開心的。因為這樣一來,我終於能重新出發,心情
也變得雀躍起來。」

 現役を引退した小林は03年から3年間、中日で打撃投手を務める。その間に小林に
はふつふつとある感情が芽生え始めた。
「ピッチャーとしてバッターと対戦しないままでいいのだろうか」
 プロのユニホームに袖を通していながら、勝負とは縁遠かった小林。年齢は26歳に
なっていたが、現役復帰する道を模索し始めた。自身の経歴を資料にまとめ、米独立リ
ーグ進出を目指す。しかしそれを見た球団担当者の反応は「登板数が少ないけど、故障
持ちなのか?」と冷ややかで、周囲の反応も「止めておけ」と好意的ではなかった。


 褪去戰袍的小林從2003年開始在中日擔任打擊投手一職。這段期間之內,小林開始有了
這樣的想法。
 「雖然自己是個投手,卻沒辦法跟打者認真對決。這樣真的好嗎?」
 雖然身上穿的是職棒選手的球衣,小林卻已與「跟打者對決」這種事情漸行漸遠。即使
已經26歲,小林也開始試圖找尋重新成為職棒選手的可能性。他把自己的經歷整理起來,
想要加入美國獨立聯盟的球隊。但球團負責的業務看了資料之後,卻只給了「你的出賽場
數這麼少,是不是有舊傷在身?」如此冷淡的回應。連週遭的人也沒好氣的勸他「還是放
棄吧」。


 そんな中、小林の背中を押した人がいた。「止めた方がいいって言ったその人はやっ
たことあるの? 関係ないじゃない。精いっぱいやってみなさいよ」
 09年に伴侶となる、当時お付き合いしていた鈴奈さんだった。

「彼女の一言がなかったら決断できませんでした。自分でも気持ちのどこかで“できな
い”と思っていたんです」

 這時從後面推小林一把的,正是2009年與他結為連理的鈴奈小姐。她對小林說「告訴你
應該放棄的人,難道經歷過跟你一樣的事情嗎?他們根本就跟你沒關係,你只要盡力去作
就好了。」

 「如果沒有她的這句話,我根本下不了決心。畢竟連我自己都會有『應該沒辦法吧』這
樣的想法。」小林如是說。

「野球があるところにはチャンスがある」

「只要有棒球就有機會」

 小林は06年、米独立リーグに属し、カナダに本拠地を置く、カルガリー・ヴァイパ
ーズに入団する。ドミニカ共和国、コロンビアなど各国から集まった選手が、片言の英
語でコミュニケーションを取り合うそのチームで、小林はそれまで知らなかった世界を
目にする。「最初は45人いたチームメートが2週間後には25人になっていました。
いつクビになるか分からない緊張感が常にありました」


 小林在2006年加入隸屬於美國獨立聯盟,位於加拿大的卡加利毒蛇隊(Calgary Vipers
)。隊上有來自多明尼加與哥倫比亞等各國選手,在這只能用簡單英文單字溝通的球隊裡
,小林終於親眼見識到自己未曾進入的世界。「剛開始隊上還有45個球員,兩周之後就變
成25人了。在這裡總是有不知道何時會被解雇的緊張感。」


 ある日、小林とルームメートのキューバ人選手がクビを言い渡された。
「彼は昼に球場で支給されるハンバーガーを食べ、夜はクッキーだけで空腹を満たして
いました。800ドルの報酬のうち、700ドルをキューバの家族に仕送りするためで
す」

 そんな彼にとってクビは死活問題。小林は彼を励まそうとすると、こんな言葉が帰っ
てきた。
「笑いながら“This is baseball. Don't worry コビー(小林の愛称)”と言われまし
た。それを聞いて、ものすごく恥ずかしかったです。こっちは腹が減ったらタクシーに
乗ってチャイニーズを食べに行き、トレーニング用品がない、トレーナーがいないと不
満ばかり漏らしていました。しかしそうじゃないと。彼は置かれた状況で必死でした。
それなのにクビという事実が重くないんです。どこであれ、野球があるところにはチャ
ンスがあると信じていました」


 某天,小林的古巴隊友被解雇了。
 「他白天吃球隊提供的漢堡,晚上就只用餅乾果腹。因為他800美金的薪水之中,有700
美金都送回古巴給家人了。」
 對他來說,被開除也等於連生活都有問題。當小林試圖鼓勵他的時候,卻得到如此的回
應。
 「他笑著對我說『這就是棒球啊。別擔心,Koby(小林在隊上的綽號)』。聽到這句話
,頓時讓我覺得非常慚愧。我自己肚子餓的時候,還坐計程車去吃中國菜,甚至因為沒有
訓練用具而向訓練員抱怨連連,但他只是拼命想留在隊上。就算是這樣還被開除,這樣的
事實對他而言卻一點也不沉重。因為他始終相信『只要在有棒球的地方,就一定有希望』
。」


 その日以来、小林はヴァイパーズで必死に投げた。1年間で38人の選手が入れ替わ
る中、小林ともう1人のカナダ人選手だけが、フルシーズンこのチームでプレーした。
「チームに必要とされることに飢えていたので、肘が痛くなっても投げ続けました。試
合に投げられることで感じたのは、“経験して成長していく喜び”です」


 自從那天之後,小林就總是拼盡全力投球。這支球隊在一年之間有38位球員進進出出,
最後只有小林跟另一個加拿大球員打滿了整季。
 「我始終讓自己維持在球隊需要我上場的狀態下,就算手肘痛也還是繼續投球。在不斷
能上場的情形之下,我徹底感受到『因為獲得經驗而有所成長的喜悅』這件事。」

河埜や広橋が所属する球団でKBO入り目指す

進入河埜與廣橋隸屬的球隊,以加入KBO為目標


 翌07年、小林は四国・九州アイランドリーグの香川オリーブガイナーズでプレーす

る。そして08年から2年間は台湾の兄弟エレファンツに在籍し、08年には10勝を
挙げる活躍を見せた。プロ入りから10年。29歳にしてようやく、脚光を浴びるマウ
ンドに立った。

「台湾シリーズには両親を呼びました。親にプロ野球選手としてたくさんの観衆の中で
投げる姿を見せられたのは、その時が初めてです」

 2007年,小林在四國「島嶼聯盟」的香川橄欖勇士隊(Kagawa Olive Guyners)投球,
2008年起則連續兩年在台灣的兄弟象隊擔任先發投手,2008年還拿下10勝。在進入職棒的
第十年,終於在29歲那年站上眾人矚目的大舞台。

「在台灣打總冠軍賽的時候,我也把父母接到台灣來看球。那是我雙親第一次看到我以職
棒選手的身分,在滿場觀眾的矚目中投球。

 小林はその後、10~11年とメキシコでプレーし、昨年から韓国の高陽ワンダーズ
に所属している。このチームは大卒後のアマチュア野球組織が確立していない韓国で、
プロを目指す若者の受け皿として誕生した球団だ。2軍リーグに非公式ながら48試合
参加し、この2年間で韓国のプロ球団に11人の選手を供給している。


 離開兄弟之後,小林2010到2011年是在墨西哥聯盟打球,去年則加入韓國的高陽驚奇隊
。由於韓國還沒有完善的業餘棒球系統,為了讓大學畢業想加入職棒的年輕球員能磨練球
技,便成立了這支球隊。他們一年要在二軍聯盟打48場比賽,比賽紀錄不會列入官方統計
。在這兩年之間,他們一共培育出11位日後加盟韓國職棒的球員。


 若者に機会を与えるチーム理念と、小林のような外国人選手は相反するように思える
が、このチームを率いる金星根(キム・ソングン=70)監督は外国人選手の必要性を
こう説明する。「他のチームと対等に戦える戦力を整えないと、選手のレベルは上がら
ない」。高陽には小林のほかに、ディオーニ・ソリアーノ(元広島)、ルイス・ゴンザ
レス(元横浜)の2人の助っ人投手が在籍している。またコーチ陣には河埜敬幸(元南
海)、広橋公寿(元西武ほか)、田中実(元日本ハム)、沖泰司(元日本ハム)、サム
ソン・リー(元中日)といったNPBでのプレー経験がある面々が名を連ね、その陣容
はプロリーグのチームと遜色ない。ちなみに金星根監督も、日本出身で千葉ロッテのコ
ーチ経験があり、SKワイバーンズの監督時代にはアジアシリーズで決勝に進出してい
る。


 這支球隊的建軍目的是盡量讓年輕球員上場磨練球技,雖然像小林這樣的外籍選手是跟
這樣的理念背道而馳的,但帶領這支球隊的總教練,現年70歲的金星根先生,卻認為球隊
裡的外籍選手有其必要性。他表示「如果沒辦法讓球隊的戰力與其他球隊拉近,球員也沒
辦法更上一層樓。」在高陽除了小林之外,還有前廣島隊(也曾加入統一獅)的索利安諾
(Dioni Soriano),前橫濱隊(曾加入兄弟象)的岡薩雷茲(Luis Enrique Gonzalez)
這兩位外籍投手。教練中也有曾在南海鷹(現為軟銀鷹)擔任教練的河埜敬幸,曾在西武
等隊擔任教練的廣橋公壽,前日本火腿的田中實跟沖泰司,以及前中日的李尚勳等與日本
職棒有所關聯的人,陣容一字排開完全不輸給正式的職業隊。順帶一提,金星根總教練是
出生於日本的韓國人,曾在千葉羅德隊擔任教練,也曾在2007與2008年率領SK飛龍隊拿下
冠軍,前進亞洲職棒大賽。


「このチームはKBO(韓国プロ野球)に近いところでアピールできるという貴重な存
在です。これまでさまざまな縁がつながって、いろんな国でプレーしてきました。その
都度、明確な目標を立ててきましたが、今、僕が目指すのはKBOのチームでプレーす
ることです」


 「這支球隊可說是最接近KBO(韓國職棒)的踏板,具有非常重要的地位。我在許多國
家都曾打過球,這也可說是一種緣分。如今我終於確定自己的目標,就是希望能在加入
KBO的球隊。」


人を感動させることができるのが「プロ野球選手」

只有能讓人感動的,才算得上是「職棒選手」

 高陽でストッパー兼中継ぎを任されている小林の成績は、6月10日現在、9試合に
登板。3勝2敗1セーブ、防御率は2.76だ。しかし高陽はリーグに属さない独立し
た球団であるため、記録は参考でしかない。ゲームごとのアピールが重要になる。


 目前在高陽擔任終結者,偶爾也會中繼上場的小林,截至6月10日為止的成績是出賽9場
,3勝2敗1救援成功,防禦率是2.76。但畢竟高陽是不屬於聯盟的獨立球團,紀錄僅供參
考,因此每場球的內容才是重點。


「僕の特徴はシュートを中心にいろんな球種を生かして、打たせて取るピッチングをす
るところです。本来は先発としてゲームメークするタイプですが、今は監督が僕を抑え
として信じ、評価してくれているので感謝しています。各球団のスカウトは外国人とい
うことで球が速いことが獲得の条件になるでしょうが、ゲームをつくれるというところ
を見てもらいたいですね」


 「我的特色就是以噴射球為主,衍生出各式各樣的球路,讓對手沒辦法準確擊球。本來
我是屬於先發型的投手,但現在的總教練相信我可以勝任救援工作,關於這點我也非常感
謝他。對各個球團的球探來說,球速應該是挑選外籍選手的第一要件吧。所以我也想能讓
他們了解,自己能讓球隊不至於處於落後。」


 韓国プロ野球の外国人選手契約期限は8月15日。1球団あたり3人まで契約、2人
まで出場という狭き外国人枠に入ることを小林は目指している。小林の現状について金
星根監督はこう話す。「コントロールも変化球も良くなってきた。今、抑えをやってい
る他のチームの外国人よりも、小林の方がええんちゃうか」


 韓國職棒的外籍選手簽約期限是8月15日,一支球隊最多能簽下三位外籍選手,同時能
出場的選手則為兩位。小林的目標就是擠進這狹窄的門檻。金星根總教練在談到小林的狀
況時是這樣說的。「他的控球跟變化球都漸入佳境,我想如果以外籍的救援投手來說,他
應該比其他球隊的外籍選手要好吧。」


 6つの国と地域、7つの球団でプレーしてきた小林。彼にとって「プロ野球選手」と
は何か。
「日本では“スポットライトを浴びないとプロ野球ではない”という見方がほとんどで
すが、世界にはさまざまな文化の中にプロ野球があると僕は実感してきました。大事な
のは肩書きではなくて、自分のスキルを上げて人を感動させることです。リーグの大き
さに関係なく、それをできるのがプロ野球選手だと思います」


 小林曾在6個國家或地區、7支不同球隊打過球。對他來說,「職棒選手」到底是什麼呢

 「在日本的話,大部分的人應該都會有『如果不能成為鎂光燈的焦點,就不能算是職棒
』這樣的想法。但曾在世界各地打過球的我,經歷過各國的職棒文化。對我來說,雖然不
是什麼值得大吹大擂的事情,但我只希望加強自己的球技,讓球迷能因為我的球技而感動
。這跟聯盟的規模沒有關係,只要能作到這點,就能算是一位職棒選手了。」


「クビ、イコール引退」という概念が世界のスタンダードではないと実感してきた小林
。「流浪のベースボールアーティスト」は、これからも世界のどこかで「プロ野球選手
」として生き続けるだろう。


 「被開除就等於退休」,小林深切的體會到這樣的說法並非放諸四海皆準。這位「流浪
的棒球藝術家」,想必今後也將在世界各地以「職棒選手」的身分,繼續努力下去吧。

譯註:以意思來說,這個詞相當於「季末解約」。但畢竟中文中沒有相近的詞,在此就暫
以原本的漢字為主,還請見諒。

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この声がどこまで届くのか    我的歌聲究竟能傳達到多遠?
この夢がいつまで続くのか    我的夢想究竟能延伸到何處?
本当は少し怯えていたけど    即使內心的確有一絲怯懦
君がその笑顔                但你始終用開朗的笑容支持著我
いつもくれたから…きっと    所以一定沒問題的!!
                                          --茅原実里「Freedom Dreamer」より

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※ 發信站: 批踢踢實業坊(ptt.cc)
◆ From: 175.180.182.99
takuminauki:中職快開亞洲名額吧1F 06/12 15:33
※ 編輯: dd103           來自: 175.180.182.99       (06/12 15:35)
Yenfu35:感謝翻譯。這篇可以轉象板,畢竟他在那兒還有一定人氣。:)2F 06/12 15:37
sony1256:看完覺得KBO多用心.....3F 06/12 15:39
KeeperOf7Key:有看有推,遇到黑伸算他衰4F 06/12 15:39
worshipA:感人 推5F 06/12 15:39
japan428:KOBY6F 06/12 15:41
Adven:原來小林有185..wow7F 06/12 15:43
jenchieh5:想到他來台灣遇到的是中入伸  唉8F 06/12 15:44
patrick31186:感動推QWQ9F 06/12 15:45
tina800920:借轉象版Q_Q10F 06/12 15:46
dd103:請轉~11F 06/12 15:46
tina800920:轉錄至看板 Elephants                                 06/12 15:46
mmzznnxxbbcc:球隊數如果增到6隊 開名額才有道理12F 06/12 15:49
a3300689:很棒!13F 06/12 15:58
wxes:之前在麵店的牆上看過他的簽名。。。。14F 06/12 16:05
QQfishing:推棒球浪人!! 外號Koby15F 06/12 16:54
jackyliu:推16F 06/12 16:56
Vexed:推17F 06/12 17:06
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remprogress:推~~ 加油~~19F 06/12 17:15
shihpoyen:推20F 06/12 17:23
knight888:非常棒的文章 謝謝分享21F 06/12 17:32
takamiku:努力日本!!加油台灣!!22F 06/12 17:57

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